孤独による感性の目覚め
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作成日時 : 2008/02/13 20:32
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結局のところ、生き方を決めるのは「自分の意思一つ」なのであろう。周囲にサポートを求めることも時には必要だが、何かにつけて依存してしまうのは自身の成長を停滞させてしまう。かといって「己の身一つで!」というのも響きはいいが、自己偏重的な思考に陥ってしまう恐れがある。他の追随を許さなくなってしまうのだ。「自己中心的」という言葉が似つかわしい・・・。
今でこそ客観的視点に立っていられるが、話を高校時代に戻すと、あの時期の心情は本当に「無」というに相応しい。誰からも見向きもされず、自らの主張をも押し殺して過ごした日々・・・。何を楽しみに、何を目的に生きているのかが全くわからなかった。 「死」への誘惑もないではなかった。そこに付随してくる「どうせ誰も悲しんでくれないだろう・・・」とのあきらめ感もあいまって、人生に絶望していた。将来への見通しも立たず、ただただ悲観に暮れていた。「存在の軽さ」に耐えられなかったのだ!
そんな中で救いを求めていたのが、「家族」に対してだった。外では空気のように過ごしていても、家に帰ると寂しさを振り払うかのようにひたすら喋りまくっていた。まるで自分の存在意義を主張するかのように!・・・無論、家族に対しても「孤独」に関しては一切話していなかった。(情けないと思われることの恥ずかしさと、自らのプライドが崩れてしまう恐れなどから) おそらく自殺者の心理も、「追い詰められて・・・」の上に、こうしたプライドを守り抜こうとすることでさらに自分を追い詰めてしまい、「死」に考えを直結させてしまうのではないだろうか?
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