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ヨッシーの部屋
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我が生涯をかけて、「人間心理」を探究し続けることをここに誓います!

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精神的高次にある者との「つながり」の熱望
・・・我が求めてやまないもの・・・それは「リアルにおける精神的に成熟した者との邂逅」である。だが人間関係というものは、概して精神的に玉石混淆となって一般化していくことに落ち着いていくと思うので、それに伴って精神的なつながりのレベルも落ちていってしまうのではなかろうか?・・・いわば高次の精神レベルの者「だけ」と、つながりを持てる機会が制限されてしまうように思う・・・(よほど互いに融通の利く身でもない限りは)。それが結局、「長いものには巻かれろ」とか「ぬるま湯体質」的なものを生み出して、毒にも薬に... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 7

2013/09/07 11:29
対人関係形成に積極的になれない理由の分析
・・・ご存じのとおり、我は対人関係形成が下手で、孤独の憂き目に遭っている一人間である・・・。とは申せ、すでに長年の慣れによる開き直りのためか、「さほど気にならなくなりつつある」というのが本音でもある。その時々での気分のブレはあろうものの、自ら動き出そうとせぬ限りは「変わり映えしない」ことをすでに理解してしまっているので、我自身が「その気にならない限りは」、今の孤独な境遇に甘んじてしまっている・・・といって差支えない。・・・なにより「一般的な」関係形成が面倒に感じているところもあるように思う・・... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 6

2013/07/15 12:54
相手の気持ちを理解するための訓練
・・・今や我が「悩み相談」の掲示板に向かうことは、もはや「ライフワーク」と化している。日々、悩みを持つ人々との「暗い気持ち」に触れることで、我自身がその暗黒に呑みこまれて、より自らの精神性に破綻をきたしていくのでは?・・・との不安もあったが、幸いそんなこともなく、悩み相談に勤しんでいる。・・・というか逆に、それがなければ「自分らしく生きられない!」ぐらいの錯覚(?)を起こし、「ネット依存」の心配すら出てくる始末である。言い換えれば我に「マッチする」取り組みを発見した!ともいえる。 ...続きを見る

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2013/05/18 20:57
「人への興味・関心が持てない」・・・ということ
・・・このテーマこそ、今の我を形成している一大要因である。我ながら困ったことなのだが、リアルにおける誰との関係も「どうでもいい・・・」と感じてしまい、もちろんそれなりに振る舞ってはいるつもりなのだが、「相手に興味が持てない」感情は消せようもない・・・。ふとした冗談を言われても、まったくシカトしてしまいたくとも「さすがにそれではマズイ・・・」との心理が働くから、お愛想的に作り笑顔を浮かべる・・・。そのジョークに対して気の利いた切り返しもできないし・しようとも思わないから、ウザいしメンドクサクな... ...続きを見る

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2013/02/09 16:54
なぜにこれほどまで「死」に対して恐れおののくのか・・・?
これまでも何度かテーマとして扱ったこともあるが、「死」の概念ほど絶対的なものもあるまい。捉え方も人それぞれで賛否はわかれようが、それでも大多数が「マイナスイメージのつきまとうもの」として捉えているのではないだろうか?・・・極端な話、それこそ自殺志願者でもない限りは、好んでそのテーマと向き合おうとはせずに避けて通ろうとするのが人情ではなかろうか?あるいはある程度の長寿を全うし、身辺整理をするなどして「思い残すことはない」と心に折り合いをつけるぐらいの、「強い心」の持ち主でない限りは・・・。しかし... ...続きを見る

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2013/01/06 01:09
「生き辛さ」の根本原因を突き止めると・・・
新年おめでとうございます。・・・今年も相も変わらずネガティブ文章が続きますが、自らの反省材料⇒今後の判断材料へとつなげていきたいと思っております。・・・果たしていつポジティブ文章に変わるのかは定かではありませんが・・・。視点の変換を期待しつつ、心にわだかまる思いを今年も吐き出していこうと思います。どうぞよろしくお願いします。 ...続きを見る

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2013/01/03 11:54
自分の「何か」を変える
・・・相も変わらず我は変わり映えのない日々・生活を送っている。ただいたずらに・ひたすらに年を重ね、行き着く先は老後における「安定」を求めているのだろうか?・・・自ら「培ってきたこと」を活かせずして、何の老後であろうか?確かに現状においては食うに困らず、それなりに安穏とした日々を過ごせてはいるように思う。傍から見れば贅沢で、これ以上何を求めるのか?・・・とのお叱りを受けるかもしれない。だが、我自身は現状に全く満足できてはいない・・・。これが偽らざる本音である。人間関係・将来関係・仕事関係・金銭関... ...続きを見る

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2012/12/31 15:28
「中庸」のこころを保つには?
・・・生きる上ではなかなか自分の心を制御し難いものである・・・。たびたび気分の波に振り回されて一喜一憂し、日々変動する心の動きは、それだけで生き辛さを感じるに十分である・・・。それが「愉しみ」だけにシフトすれば人生に何の問題も感じぬのであろうが、否応なしに「悩み苦しむ」ことを強要されるのであれば、生きる苦しみは格段に増してしまう・・・。それらはすべて人それぞれの「心の捉え方」によるものだ!・・・複雑な要因も絡み合うので、プラス思考・マイナス思考などと一括りにはできないが、生育要因・環境要因な... ...続きを見る

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2012/12/23 12:04
変化なきこころ?
お久しぶりである。・・・といっても、我の境遇はほとんど何も変わっちゃいない・・・。相も変わらず孤独感のもとで、周りと勝手に自ら確執を作り出しながら「生き辛さ」を感じつつ、そのあがきの中でなにか自分に光明となろうことを探し出そうと躍起になっている。一体何が自分にとって「正しい道」なのか?・・・本当に迷いに迷った挙句、進む先は常に荊であるという・・・。まさに「自業自得」を絵に描いたような生き様ではあるが、そのことを正そうとする気持ちも湧き上がっては来ぬのである・・・。 ...続きを見る

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2012/12/16 22:15
「誰かと心を通わせる」とは?
・・・これぞ我の生きる上での「永遠のテーマ」である。残念ながらその答え探しにおいては、年々我自身の心が閉ざされていっていると実感せざるを得ないのだが・・・。今更過去のことに捉われても仕方がないのだが、昔はもっと心がオープンだった気がする。変に相手を「色眼鏡」で見たりはせず(敵対することはあっても)、どちらかというとまずは相手を「受け入れよう!」とするところから始めていたものだった・・・。しかし現在に至っては年齢的なものなのか、すぐさま相手の人間性を見定めて自分にとっての「損得勘定」ありきで判断... ...続きを見る

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2012/08/10 19:56
「己の醜さ」を映し出す鏡の存在
普段の生活において、どんなに周囲を気にかけずに当たり障りのない生き方を心がけようと腐心しても、それを揺らがされる事態というものは確かに存在する。どんなに自分の感情・本音を覆い隠そうと、周りに対して「作り笑い」の飾った自分を演じようとも、心穏やかならざる状況というのも確実に存在するのだ!・・・それが、「己の醜さを映し出す鏡となる人物の存在」によってである。そうした相手は言い換えれば「良い人すぎて、接していると自分のことが嫌いになる」ということでもある。 ...続きを見る

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2012/07/16 00:18
自分を「失敗作」と思う根本理由
我は周囲の人間とうまくやれない人間である・・・。陰気・とっつきにくい・嫉妬深い・短気・一匹狼気取り・考えていることがわからない・無愛想・話がつまらない・協調性がない・独り善がり・自己中心的・自分勝手・恨みがましい・無口・自作自演・捨て鉢・理解者皆無・話しかけにくい・近寄りがたい、話しかけんなオーラが出ている・はみ出し者・役に立たない・自意識過剰・どうでもよいヤツ・いてもいなくても変わらないヤツ・気が利かないヤツ・空気読めないヤツ・・・とまあ、いろいろあげつらったものだが、そう周りに思われてい... ...続きを見る

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2012/06/23 23:13
心の中を占める「毒」
その「毒」とは、「不安感」であると我は思う。・・・不安とはひとたび感じれば、一気に心の中を駆け巡る「毒」のようなものではなかろうか?そしてその「毒(不安)」が心全体を侵し、じわじわと生きる気力や立ち向かう気力を殺いで、自らの心や体を弱らせていく・・・。そのうえ、この「毒(不安)」は永続性があり、一つの不安が時間とともに枝分かれしていって、ネズミ算式に心の中を侵食していくのである・・・。どんなにその苦痛や恐れより抗ってみようと、不安に不安が輪をかけて自らの心に襲いかかり、苦しみ・のたうち回るだ... ...続きを見る

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2012/05/20 14:07
「人の役に立つ」ということ
・・・正直、偽善的な響きである。・・・と以前の我なら感じていた。その場合、「誰彼問わず」が問題なのであって、「常にそうありたい=誰彼問わず誰かの役に立ちたい!」との気持ちを抱いてみても、自分自身が苦しくなるばかりであると知った。・・・なぜなら自分にとって嫌い・苦手とする人間に対してまでその対象を広げてみても、自分の心に納得感を与えることなどかなわぬのであるから、付随するのは「やるせなさ」だけになってしまうのである・・・。そうしてまで相手を嫌いになることから目を背けようとしても、かえって問題は... ...続きを見る

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2012/05/05 11:41
「点」⇒「線」へ。思考と感情の一致への道
我の場合は「感情で芽生えたことを、思考化してメモとして書き連ねる」ことを日々実践している。気持ちとは日々移ろいやすいもので、必ずしも一定ではない。気分が上向くこともあれば、下降することもある。それは天気のようなものである。人工的に・機械的に言い聞かせてどうにかなるものでもないのだ!・・・そんな当たり前のことではあっても、ただ漠然とその状況を手をこまねいて見ているのもいかがなものか?・・・と我は思うのである。たとえば苦しみの感情を、苦しみのままに放置しておいてもひたすらに・いたずらにその状況を長... ...続きを見る

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2012/03/24 12:43
心をラクにする方法
・・・それは「ありのままの状況」を自身の心においてしっかりと受け止め、受け入れていくことだと我は思う。・・・そうは申せど、なかなかそううまくいかないのが世の常だ。自分にとって「受け入れ難き状況」が出現するだに、心が折れて自分に都合のよい「自己解釈」を駆使して、極力問題から目を背けようとする・・・。「強き心」が養えておれずば、どうしても「逃げ道」を作ってしまい、自分が「ラク」に思えることを第一に(無意識に)考え(必ずしも心はラクになる保証もないというのに・・・)、貶めたり突き放したりして問題を問... ...続きを見る

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2012/03/04 14:08
「孤独」を受け入れることの境地に達するにあたって
これまで生きてきた中において、我が最大の「敵」と申すのが「孤独感」であった・・・。「これ」には本当に、いつでも悩まされ続けてきた・・・。たとえ開き直って「それ」を受け入れた「気」にはなっても、ふとした拍子に「それ」は絶えず頭をもたげ、「徹底した自己確立」においての障壁となって立ちふさがり続けてきた・・・。そうして一度「それ」に捉われてしまうと、浮かび上がってくるのは自分を自分たらしめない「虚無感」ばかりであり、周囲に「認められない」ことからくる苛立ちに占められて自分を見失い、なおのこと「それ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 6

2012/02/25 01:52
我が「死生観の完成」に向けて
自分が「死」に際しての参考文献として、天童荒太氏の「悼む人」を挙げる。詳細は割愛するが、まさに死を迎えんとする人の描写がとても生々しく、何というか我が「本能的危機感」を揺り動かされた心地がしたものだった・・・。「死」という現実に忌避を抱く反面、身体的作用として「きっとこうなるのかもしれないな・・・」と、妙に納得してしまったものである。・・・だいぶ前に読んだものなので、詳しい描写は忘れてしまったが、中身としては今わの際となって『目も開けられなくなり、体も動かせなくなって、周りの声は聞こえるのだが... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 6

2012/02/11 00:51
「死」への目論み⇒「生」への執着への変貌・・・の夢
 不思議な夢を見た。我が「死生観」に対する問いかけで、両者の狭間に揺れるものであった。下記に詳述させていただく。(心理的に嫌悪感を抱かれる場合もございますので、読み進めることを推奨する内容にはなっていないことを、まずお断りさせていただきます。) ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 7

2012/01/15 10:12
「進むべき道」の一致感による世界の広がり
 「自分がこれから何を成していくべきか?=どのように生きれば、自分らしく在れるのか?」・・・のテーマを、これまでずっと突き詰めて考えてきた。・・・けれどもなかなかその答えを得ることかなわず、無為にその日暮らしをし続けていると「錯覚」していた。読書をして知識を身につけようとしてみたり、趣味のボクシングに取り組んで精神力を鍛え上げようとしてみたり・・・と。・・・確かにある程度の「自己満足」は得られて、「自分なりの取り組み」としての意義を感じられもした。しかし、真の意味で決定的な「生甲斐・やりがい」... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/01/14 19:50

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