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「死」への目論み⇒「生」への執着への変貌・・・の夢
不思議な夢を見た。 |
2012/01/15 10:12 |
「進むべき道」の一致感による世界の広がり
「自分がこれから何を成していくべきか?=どのように生きれば、自分らしく在れるのか?」・・・のテーマを、これまでずっと突き詰めて考えてきた。・・・けれどもなかなかその答えを得ることかなわず、無為にその日暮らしをし続けていると「錯覚」していた。 |
2012/01/14 19:50 |
人間関係における「三大悪」の標榜
・・・再び久方ぶりである・・・。「便りがないのは無事な証拠」とは言ったものだが、我の場合は・・・この約三カ月の間、自身の「新たなる道の模索」に努めてきた。 |
2011/12/23 21:59 |
「執着心を捨て去る」ということ
この世を生きる上において、辛さや苦しさを背負いこんでしまうのに最も根本的な感情は「執着心」であると我は思う。ヒトへの執着・モノへの執着・・・。それらのどれをとってしても、自分を苦しみへと追いやる要素たりえる。ヒトに関しては言わずもがな「依存」であり、「憎悪」である。好き嫌い両極端においての相手への「執着心」が、それらの感情を激しく呼び起こす。いずれにせよ、その感情で知らず自分自身の心が疲弊・あるいは傷つき続けても、おいそれと改善に向かう余地もない・・・。 |
2011/09/28 19:21 |
自分のことだけに執着する自分が嫌い・・・
「人は何のために(辛い世の中を)生きているのか?」という問いに、「自分が幸せになるため」という書き込みを目にした。 |
2011/09/21 12:22 |
人との「比較」による、自己価値の喪失
「自分は自分・他人は他人」・・・そんな当たり前の文言も、時として忘れがちとなり、いつの間にやら「他者の目を介した自分」こそが自己存在=本当の自分になり変わっている・・・。 |
2011/09/17 11:58 |
我が罪憎んで、人を憎まず
我の他者への反応は極めて単純明快である。 |
2011/09/07 22:45 |
こころの「感情反応」と「リアル反応」
こころの反応として、我の場合は「感情」と「現実」における反応があるように思える。まず、外界からの情報を自分のこころで受け止めて、それに対してまず「自分はどう感じるか?」の反応が起こり、自分の「感情」に沿ってどのような行動をとるべきか?の判断がなされる。しかし、それをそのままに出すわけにもいかない。なぜなら、たとえば苛立ちなどの「マイナス感情」を、「現実」において相手に直接ぶつけることはナンセンスであると解しているからだ。言うなれば自らのこころ(理性)で「感情」に抑制をかけるなどの、「現実」に即... ...続きを見る |
2011/09/04 19:51 |
精神的「ドン底」にて足掻き続けても何も変われない・・・
何年経っても、変わり映えしない我が心に対して苛立ちすら覚える・・・。 |
2011/08/28 19:10 |
心に壁を作ってしまう自分・・・
どうしていつもこうなのだろうか? |
2011/08/25 20:50 |
一体、誰の人生なの?
「自分のための人生である」―こんな当たり前の答えを我は胸を張って答えることができない・・・。 |
2011/08/19 22:41 |
「蛇の生殺し」状態にされる辛さ・・・
職場において我の存在は空気のように軽く、霞みつつある・・・。 |
2011/07/27 20:13 |
やっと戻ってきた・・・
本当に久しぶりのブログである。2ヶ月強ぶりであるが、その間は別に病んでいたわけではないので悪しからず・・・。(とは申せど、実際には精神的に追い詰められていたことも否定はできないのだが |
2011/07/25 21:11 |
自分でわかっているハズなのに、罪悪感あるいは自虐感を抱くとき・・・
自分で「こういうことをしたら絶対、後で傷つくだろうな・・・ |
2011/05/18 20:27 |
本当に「死ぬ想い」をしたことがあるか?
・・・これは別に「自殺する考え」の有無を問うものではない。 |
2011/05/14 11:31 |
「ドン底感覚」を拒絶せずに受け入れよ!
自分自身が「ドン底」まで堕ちていく様を受け入れることなど到底できない!・・・との想いでこれまでの人生を歩んできたわけだが、どうにも我は思い違いをしていたようであった。 |
2011/05/11 22:23 |
「中途半端な自分」の生き方を見つめなおす
昨日、我は埼玉県某市〜宮城県仙台市までの「自転車(クロスロードバイク)の旅」を敢行した。その結果は・・・栃木県の小山市より先までで断念と、惨憺たるものだった。 |
2011/05/05 11:56 |
「逆境に強くなる」生き方探し
【仕事ができる男、何かを成し遂げた奴は、必ずと言っていいほど、一度、ドン底なり、底に近い所に身を置いている。人間を真に鍛えるには、苦節に身を置くしかないのだろう。】(伊集院静「悩むが花」より) ...続きを見る |
2011/05/01 11:43 |
コイツの生き方、嫌いやわ〜〜
これまで我は「自己チュー」な人間こそ最低最悪で、関わるに値しないとさんざ訴えてきたが、その認識を改めざるを得なくなりつつある・・・。 |
2011/04/28 22:03 |
「個」それとも「全体」のどちらをとるべし?
中村うさぎ氏著の「さすらいの女王」より、『「個」であることを貫けば自由と引き換えに孤立し、「全体我」に融合すれば心地よい連帯感を得られるものの自由を失う、という摂理だ』―の部分に目からウロコが落ちた心地がする! |
2011/04/22 22:17 |