アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
ヨッシーの部屋
ブログ紹介
我が生涯をかけて、「人間心理」を探究し続けることをここに誓います!

help RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
「死」への目論み⇒「生」への執着への変貌・・・の夢
 不思議な夢を見た。我が「死生観」に対する問いかけで、両者の狭間に揺れるものであった。下記に詳述させていただく。(心理的に嫌悪感を抱かれる場合もございますので、読み進めることを推奨する内容にはなっていないことを、まずお断りさせていただきます。) ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5

2012/01/15 10:12
「進むべき道」の一致感による世界の広がり
 「自分がこれから何を成していくべきか?=どのように生きれば、自分らしく在れるのか?」・・・のテーマを、これまでずっと突き詰めて考えてきた。・・・けれどもなかなかその答えを得ることかなわず、無為にその日暮らしをし続けていると「錯覚」していた。読書をして知識を身につけようとしてみたり、趣味のボクシングに取り組んで精神力を鍛え上げようとしてみたり・・・と。・・・確かにある程度の「自己満足」は得られて、「自分なりの取り組み」としての意義を感じられもした。しかし、真の意味で決定的な「生甲斐・やりがい」... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2012/01/14 19:50
人間関係における「三大悪」の標榜
 ・・・再び久方ぶりである・・・。「便りがないのは無事な証拠」とは言ったものだが、我の場合は・・・この約三カ月の間、自身の「新たなる道の模索」に努めてきた。まァ詳細は明かさないが、そこを通じてこれまでの「無駄に感じていた時間」がようやく実を結びつつあるのかな?・・・という手応えをいくらか感じられる心境に至っている。なんだか今まで「自分の狭い世界」だけにおいて、我が好き勝手にぶっちゃけてきたのがバカらしく感じられる次第でもある・・・。  その過程において改めて人間関係に関して、自分なりにつか... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2011/12/23 21:59
「執着心を捨て去る」ということ
 この世を生きる上において、辛さや苦しさを背負いこんでしまうのに最も根本的な感情は「執着心」であると我は思う。ヒトへの執着・モノへの執着・・・。それらのどれをとってしても、自分を苦しみへと追いやる要素たりえる。ヒトに関しては言わずもがな「依存」であり、「憎悪」である。好き嫌い両極端においての相手への「執着心」が、それらの感情を激しく呼び起こす。いずれにせよ、その感情で知らず自分自身の心が疲弊・あるいは傷つき続けても、おいそれと改善に向かう余地もない・・・。また、人間関係においても多大な支障をき... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4

2011/09/28 19:21
自分のことだけに執着する自分が嫌い・・・
 「人は何のために(辛い世の中を)生きているのか?」という問いに、「自分が幸せになるため」という書き込みを目にした。・・・思えば我は「自己愛(自己価値が一番)」というものは極端なくらいにあるが、それは「自分を大切にする・認める(自己肯定)」という良い面に働いておらず、常に「こんなもんじゃ、まだまだ足りない!・無能だ!(自己否定)」という悪い面にばかり作用されがちである・・・。そんなだから「自分が幸せになる」という文言に対して盲目的であり、書き込みには目からウロコの落ちる想いがした! ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/09/21 12:22
人との「比較」による、自己価値の喪失
 「自分は自分・他人は他人」・・・そんな当たり前の文言も、時として忘れがちとなり、いつの間にやら「他者の目を介した自分」こそが自己存在=本当の自分になり変わっている・・・。客観的自己評価を周りから耳にすることで、安心感を覚えるというような。我の場合はそれほどに、自分で自分を認めてやれずに他者の評価に依存しているところがある・・・。そんなだから幼少期よりの「周囲に合わせた対応」に関して、今になって急激にそんな自分自身への嫌悪感が湧出してきて、周囲に迎合することにも疲れてきて、関わり合いを面倒に... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/09/17 11:58
我が罪憎んで、人を憎まず
 我の他者への反応は極めて単純明快である。『@好きA嫌いB無関心』・・・以上である。圧倒的に割合を占めるのがAとBで、8・9割方を占める。ともかく我が「感情」によって相手を認識し、相手への反応があっさりと決定づけられていく。・・・よほどのことがない限りはその決定は覆らず、いつでも人間関係において苦心している・・・。そんな「自分を変えなきゃ!」と思えれども、焦れば焦るほど、意気込めば意気込むほど自分に無理を重ねてシンドくなって、結局最後は「どうでもいいや!」と自棄を起こして相手を「嫌い」・「... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/09/07 22:45
こころの「感情反応」と「リアル反応」
 こころの反応として、我の場合は「感情」と「現実」における反応があるように思える。まず、外界からの情報を自分のこころで受け止めて、それに対してまず「自分はどう感じるか?」の反応が起こり、自分の「感情」に沿ってどのような行動をとるべきか?の判断がなされる。しかし、それをそのままに出すわけにもいかない。なぜなら、たとえば苛立ちなどの「マイナス感情」を、「現実」において相手に直接ぶつけることはナンセンスであると解しているからだ。言うなれば自らのこころ(理性)で「感情」に抑制をかけるなどの、「現実」に即... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/09/04 19:51
精神的「ドン底」にて足掻き続けても何も変われない・・・
 何年経っても、変わり映えしない我が心に対して苛立ちすら覚える・・・。常にあるのは「自分を理解してもらえない・・・」とする周りへの憤りばかりだ。そのくせ、自身の心はひたすらに余裕を失くし、確固たる己が心の「骨子」とでもいうべき拠り所とするものが皆無であるから、絶えずブレて周囲の影響を受けての浮き沈みが激しくなる・・・。自分の心がいつまでたっても確立できていない。いわば自らの心の在り様を「周囲のせい」にして、それによって自分の心の落ち込みを当てこすっていたにすぎなかったのだ!・・・我がかように... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2011/08/28 19:10
心に壁を作ってしまう自分・・・
 どうしていつもこうなのだろうか?・・・勝手に自分の心に壁を作って、勝手に自分で他者を遠ざけているくせに、独りになった途端、急激に空虚感やら後悔やら自責の念やら自己嫌悪感やら・・・ことごとくマイナス感情に打ちひしがれては、自らの立場を危うくして気持ちを沈み込ませ、再び暗い気持ちで次の日を迎えて同じような態度を周囲にとって更なる自虐感を抱える・・・という日々を繰り返している。一体いつまで暗闇のどん底にて足掻き続けて、這い上がることもできずに悩みや苦しみを抱え続けねばならぬのか?・・・自らの心の... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/08/25 20:50
一体、誰の人生なの?
 「自分のための人生である」―こんな当たり前の答えを我は胸を張って答えることができない・・・。「人は人・自分は自分」との分離が全くできていないから、どこかで相手と同一視させた見方となって、相手に「依存」してみたり、「執着」してみたり、「期待」してみたり、「比較」してみたりして結果的に自分自身が傷つく考え方へと知らず誘導してしまっているようなのである。そう、「自分の人生は自分のものでしかない」のである。・・・にもかかわらず、相手の目を通して物事を考えようとするから自分の望む真意をボカしてしまい、... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/08/19 22:41
「蛇の生殺し」状態にされる辛さ・・・
 職場において我の存在は空気のように軽く、霞みつつある・・・。イジメの標的にされないだけでもマシ・・・という考えもあろうが、近づきがたく全く相手にされずに避けられる状況というものは、「自分はどのように振舞えば良いのか?」という思考すらも削ぎ落とし、ひたすら「蛇の生殺し」のように自らの心にジワリジワリと負荷がかかっていくような感覚である。・・・もちろん自分に非があって、話しかけづらい雰囲気を醸し出したり、心理的に反発して相手を遠ざけるような態度をとっていることは自覚している。「会話力」というも... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/07/27 20:13
やっと戻ってきた・・・
 本当に久しぶりのブログである。2ヶ月強ぶりであるが、その間は別に病んでいたわけではないので悪しからず・・・。(とは申せど、実際には精神的に追い詰められていたことも否定はできないのだが)原因はプラウザの機能がおかしくなってアクセスできなくなってしまい、この期間「蛇の生殺し」のように書きたいこともかけずに悶々としていたのである・・・。半ばあきらめて本日アクセスしてみたところ、復旧していたというわけである。何という僥倖であろうか!とにかく再び、我が思いの丈を存分に書き綴らせていただこうと思う!... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/07/25 21:11
自分でわかっているハズなのに、罪悪感あるいは自虐感を抱くとき・・・
 自分で「こういうことをしたら絶対、後で傷つくだろうな・・・」とわかっているのにもかかわらず、止めようもなくその流れにまかせて現実にその行為を行って、相手への罪悪感・あるいは自虐感を抱く・・・。我にはかような行為が本当に多い!・・・頭の中じゃ十分すぎるくらいに理解しているハズであるのに、敢えて実践に移してしてみて、わかりきっている苦い結果を味わおうとする無意味さ・・・。どうにも自分で自分を貶める行為に味を占めてしまっているようなのだ!その中身とは・・・ ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/05/18 20:27
本当に「死ぬ想い」をしたことがあるか?
 ・・・これは別に「自殺する考え」の有無を問うものではない。もしも「自殺」を考えるような状況に陥っているのなら、心的エネルギーは筆舌しがたいほどに消耗しているであろうし、「死」によって全てを闇に葬ろうとする誘惑にとりつかれるばかりで、深い「絶望感」に占められているハズである・・・。そこから「生」に対するエネルギーを生み出すためにはよほどの逆転的体験・体感をせぬ限りは、反転することはかなわない・・・。それほどに絶望感・死への誘惑とは禍々しく、抗いがたく、無力感に苛まれて自身の全てを吸い上げられ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/05/14 11:31
「ドン底感覚」を拒絶せずに受け入れよ!
 自分自身が「ドン底」まで堕ちていく様を受け入れることなど到底できない!・・・との想いでこれまでの人生を歩んできたわけだが、どうにも我は思い違いをしていたようであった。「自己防衛」により、「ドン底に堕ちることの惨めさ」という心理作用が働いていたようで、「そうはなるまい!」との客観視できない頑なな心が知らず己の心を苦しめ続けていたわけである・・・。その根拠として「ドン底」を感じることを怖がって(恥ずかしがって)、そこに目を向けずに己が受ける「傷(恥)」を浅くしようと画策し、何ら教訓を得ることな... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/05/11 22:23
「中途半端な自分」の生き方を見つめなおす
 昨日、我は埼玉県某市〜宮城県仙台市までの「自転車(クロスロードバイク)の旅」を敢行した。その結果は・・・栃木県の小山市より先までで断念と、惨憺たるものだった。そこから福島まででさえ200km近くあったのだから、いかに我がナメてかかっていたかということがわかろうというものだ。一応、その作戦の全容としては【往路・復路で各6時間ずつ使い、とにかくその時間内はやりきるまであきらめずに体力・精神力を試す自分との闘い】と銘打っていた。朝早く出て、夜遅くならぬうちに戻れるようにする・・・という、どこかし... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/05/05 11:56
「逆境に強くなる」生き方探し
 【仕事ができる男、何かを成し遂げた奴は、必ずと言っていいほど、一度、ドン底なり、底に近い所に身を置いている。人間を真に鍛えるには、苦節に身を置くしかないのだろう。】(伊集院静「悩むが花」より) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/05/01 11:43
コイツの生き方、嫌いやわ〜〜
 これまで我は「自己チュー」な人間こそ最低最悪で、関わるに値しないとさんざ訴えてきたが、その認識を改めざるを得なくなりつつある・・・。かような者には「無関心」を貫きさえすれば良く、時たま望まざるとに巻き添えになることもあろうが、こちらが感情的にならずに対処すれば済む話なのである。いたずらに心を乱して相手の「策略」に乗じるべきではない。・・・ところがそのスタンスでいても通じない、厄介極まりない存在もいる。 それが『普段は面倒見が良すぎるぐらいにこちらに世話を焼いてくるクセに、本人に直接危害が... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/04/28 22:03
「個」それとも「全体」のどちらをとるべし?
 中村うさぎ氏著の「さすらいの女王」より、『「個」であることを貫けば自由と引き換えに孤立し、「全体我」に融合すれば心地よい連帯感を得られるものの自由を失う、という摂理だ』―の部分に目からウロコが落ちた心地がする!・・・我が長い間求め続けていた「真の答え」と申しても過言ではない。我自身が「孤立すること」に対して常に不安や恐れを抱き、周囲にイヤイヤながらも合わせることで「同一化」をはかれるとそれまでにおいて信じ続けていた。・・・しかしそれがまったくの「幻想」であったことに愕然とし、かといって好き好... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2011/04/22 22:17

続きを見る

トップへ

月別リンク

ヨッシーの部屋/BIGLOBEウェブリブログ
[ ]