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ヨッシーの部屋
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我が生涯をかけて、「人間心理」を探究し続けることをここに誓います!

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心の中を占める「毒」
その「毒」とは、「不安感」であると我は思う。・・・不安とはひとたび感じれば、一気に心の中を駆け巡る「毒」のようなものではなかろうか?そしてその「毒(不安)」が心全体を侵し、じわじわと生きる気力や立ち向かう気力を殺いで、自らの心や体を弱らせていく・・・。そのうえ、この「毒(不安)」は永続性があり、一つの不安が時間とともに枝分かれしていって、ネズミ算式に心の中を侵食していくのである・・・。どんなにその苦痛や恐れより抗ってみようと、不安に不安が輪をかけて自らの心に襲いかかり、苦しみ・のたうち回るだ... ...続きを見る

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2012/05/20 14:07
「人の役に立つ」ということ
・・・正直、偽善的な響きである。・・・と以前の我なら感じていた。その場合、「誰彼問わず」が問題なのであって、「常にそうありたい=誰彼問わず誰かの役に立ちたい!」との気持ちを抱いてみても、自分自身が苦しくなるばかりであると知った。・・・なぜなら自分にとって嫌い・苦手とする人間に対してまでその対象を広げてみても、自分の心に納得感を与えることなどかなわぬのであるから、付随するのは「やるせなさ」だけになってしまうのである・・・。そうしてまで相手を嫌いになることから目を背けようとしても、かえって問題は... ...続きを見る

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2012/05/05 11:41
「点」⇒「線」へ。思考と感情の一致への道
我の場合は「感情で芽生えたことを、思考化してメモとして書き連ねる」ことを日々実践している。気持ちとは日々移ろいやすいもので、必ずしも一定ではない。気分が上向くこともあれば、下降することもある。それは天気のようなものである。人工的に・機械的に言い聞かせてどうにかなるものでもないのだ!・・・そんな当たり前のことではあっても、ただ漠然とその状況を手をこまねいて見ているのもいかがなものか?・・・と我は思うのである。たとえば苦しみの感情を、苦しみのままに放置しておいてもひたすらに・いたずらにその状況を長... ...続きを見る

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2012/03/24 12:43
心をラクにする方法
・・・それは「ありのままの状況」を自身の心においてしっかりと受け止め、受け入れていくことだと我は思う。・・・そうは申せど、なかなかそううまくいかないのが世の常だ。自分にとって「受け入れ難き状況」が出現するだに、心が折れて自分に都合のよい「自己解釈」を駆使して、極力問題から目を背けようとする・・・。「強き心」が養えておれずば、どうしても「逃げ道」を作ってしまい、自分が「ラク」に思えることを第一に(無意識に)考え(必ずしも心はラクになる保証もないというのに・・・)、貶めたり突き放したりして問題を問... ...続きを見る

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2012/03/04 14:08
「孤独」を受け入れることの境地に達するにあたって
これまで生きてきた中において、我が最大の「敵」と申すのが「孤独感」であった・・・。「これ」には本当に、いつでも悩まされ続けてきた・・・。たとえ開き直って「それ」を受け入れた「気」にはなっても、ふとした拍子に「それ」は絶えず頭をもたげ、「徹底した自己確立」においての障壁となって立ちふさがり続けてきた・・・。そうして一度「それ」に捉われてしまうと、浮かび上がってくるのは自分を自分たらしめない「虚無感」ばかりであり、周囲に「認められない」ことからくる苛立ちに占められて自分を見失い、なおのこと「それ... ...続きを見る

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2012/02/25 01:52
我が「死生観の完成」に向けて
自分が「死」に際しての参考文献として、天童荒太氏の「悼む人」を挙げる。詳細は割愛するが、まさに死を迎えんとする人の描写がとても生々しく、何というか我が「本能的危機感」を揺り動かされた心地がしたものだった・・・。「死」という現実に忌避を抱く反面、身体的作用として「きっとこうなるのかもしれないな・・・」と、妙に納得してしまったものである。・・・だいぶ前に読んだものなので、詳しい描写は忘れてしまったが、中身としては今わの際となって『目も開けられなくなり、体も動かせなくなって、周りの声は聞こえるのだが... ...続きを見る

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2012/02/11 00:51
「死」への目論み⇒「生」への執着への変貌・・・の夢
 不思議な夢を見た。我が「死生観」に対する問いかけで、両者の狭間に揺れるものであった。下記に詳述させていただく。(心理的に嫌悪感を抱かれる場合もございますので、読み進めることを推奨する内容にはなっていないことを、まずお断りさせていただきます。) ...続きを見る

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2012/01/15 10:12
「進むべき道」の一致感による世界の広がり
 「自分がこれから何を成していくべきか?=どのように生きれば、自分らしく在れるのか?」・・・のテーマを、これまでずっと突き詰めて考えてきた。・・・けれどもなかなかその答えを得ることかなわず、無為にその日暮らしをし続けていると「錯覚」していた。読書をして知識を身につけようとしてみたり、趣味のボクシングに取り組んで精神力を鍛え上げようとしてみたり・・・と。・・・確かにある程度の「自己満足」は得られて、「自分なりの取り組み」としての意義を感じられもした。しかし、真の意味で決定的な「生甲斐・やりがい」... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/01/14 19:50
人間関係における「三大悪」の標榜
 ・・・再び久方ぶりである・・・。「便りがないのは無事な証拠」とは言ったものだが、我の場合は・・・この約三カ月の間、自身の「新たなる道の模索」に努めてきた。まァ詳細は明かさないが、そこを通じてこれまでの「無駄に感じていた時間」がようやく実を結びつつあるのかな?・・・という手応えをいくらか感じられる心境に至っている。なんだか今まで「自分の狭い世界」だけにおいて、我が好き勝手にぶっちゃけてきたのがバカらしく感じられる次第でもある・・・。  その過程において改めて人間関係に関して、自分なりにつか... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2011/12/23 21:59
「執着心を捨て去る」ということ
 この世を生きる上において、辛さや苦しさを背負いこんでしまうのに最も根本的な感情は「執着心」であると我は思う。ヒトへの執着・モノへの執着・・・。それらのどれをとってしても、自分を苦しみへと追いやる要素たりえる。ヒトに関しては言わずもがな「依存」であり、「憎悪」である。好き嫌い両極端においての相手への「執着心」が、それらの感情を激しく呼び起こす。いずれにせよ、その感情で知らず自分自身の心が疲弊・あるいは傷つき続けても、おいそれと改善に向かう余地もない・・・。また、人間関係においても多大な支障をき... ...続きを見る

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2011/09/28 19:21
自分のことだけに執着する自分が嫌い・・・
 「人は何のために(辛い世の中を)生きているのか?」という問いに、「自分が幸せになるため」という書き込みを目にした。・・・思えば我は「自己愛(自己価値が一番)」というものは極端なくらいにあるが、それは「自分を大切にする・認める(自己肯定)」という良い面に働いておらず、常に「こんなもんじゃ、まだまだ足りない!・無能だ!(自己否定)」という悪い面にばかり作用されがちである・・・。そんなだから「自分が幸せになる」という文言に対して盲目的であり、書き込みには目からウロコの落ちる想いがした! ...続きを見る

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2011/09/21 12:22
人との「比較」による、自己価値の喪失
 「自分は自分・他人は他人」・・・そんな当たり前の文言も、時として忘れがちとなり、いつの間にやら「他者の目を介した自分」こそが自己存在=本当の自分になり変わっている・・・。客観的自己評価を周りから耳にすることで、安心感を覚えるというような。我の場合はそれほどに、自分で自分を認めてやれずに他者の評価に依存しているところがある・・・。そんなだから幼少期よりの「周囲に合わせた対応」に関して、今になって急激にそんな自分自身への嫌悪感が湧出してきて、周囲に迎合することにも疲れてきて、関わり合いを面倒に... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/09/17 11:58
我が罪憎んで、人を憎まず
 我の他者への反応は極めて単純明快である。『@好きA嫌いB無関心』・・・以上である。圧倒的に割合を占めるのがAとBで、8・9割方を占める。ともかく我が「感情」によって相手を認識し、相手への反応があっさりと決定づけられていく。・・・よほどのことがない限りはその決定は覆らず、いつでも人間関係において苦心している・・・。そんな「自分を変えなきゃ!」と思えれども、焦れば焦るほど、意気込めば意気込むほど自分に無理を重ねてシンドくなって、結局最後は「どうでもいいや!」と自棄を起こして相手を「嫌い」・「... ...続きを見る

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2011/09/07 22:45
こころの「感情反応」と「リアル反応」
 こころの反応として、我の場合は「感情」と「現実」における反応があるように思える。まず、外界からの情報を自分のこころで受け止めて、それに対してまず「自分はどう感じるか?」の反応が起こり、自分の「感情」に沿ってどのような行動をとるべきか?の判断がなされる。しかし、それをそのままに出すわけにもいかない。なぜなら、たとえば苛立ちなどの「マイナス感情」を、「現実」において相手に直接ぶつけることはナンセンスであると解しているからだ。言うなれば自らのこころ(理性)で「感情」に抑制をかけるなどの、「現実」に即... ...続きを見る

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2011/09/04 19:51
精神的「ドン底」にて足掻き続けても何も変われない・・・
 何年経っても、変わり映えしない我が心に対して苛立ちすら覚える・・・。常にあるのは「自分を理解してもらえない・・・」とする周りへの憤りばかりだ。そのくせ、自身の心はひたすらに余裕を失くし、確固たる己が心の「骨子」とでもいうべき拠り所とするものが皆無であるから、絶えずブレて周囲の影響を受けての浮き沈みが激しくなる・・・。自分の心がいつまでたっても確立できていない。いわば自らの心の在り様を「周囲のせい」にして、それによって自分の心の落ち込みを当てこすっていたにすぎなかったのだ!・・・我がかように... ...続きを見る

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2011/08/28 19:10
心に壁を作ってしまう自分・・・
 どうしていつもこうなのだろうか?・・・勝手に自分の心に壁を作って、勝手に自分で他者を遠ざけているくせに、独りになった途端、急激に空虚感やら後悔やら自責の念やら自己嫌悪感やら・・・ことごとくマイナス感情に打ちひしがれては、自らの立場を危うくして気持ちを沈み込ませ、再び暗い気持ちで次の日を迎えて同じような態度を周囲にとって更なる自虐感を抱える・・・という日々を繰り返している。一体いつまで暗闇のどん底にて足掻き続けて、這い上がることもできずに悩みや苦しみを抱え続けねばならぬのか?・・・自らの心の... ...続きを見る

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2011/08/25 20:50
一体、誰の人生なの?
 「自分のための人生である」―こんな当たり前の答えを我は胸を張って答えることができない・・・。「人は人・自分は自分」との分離が全くできていないから、どこかで相手と同一視させた見方となって、相手に「依存」してみたり、「執着」してみたり、「期待」してみたり、「比較」してみたりして結果的に自分自身が傷つく考え方へと知らず誘導してしまっているようなのである。そう、「自分の人生は自分のものでしかない」のである。・・・にもかかわらず、相手の目を通して物事を考えようとするから自分の望む真意をボカしてしまい、... ...続きを見る

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2011/08/19 22:41
「蛇の生殺し」状態にされる辛さ・・・
 職場において我の存在は空気のように軽く、霞みつつある・・・。イジメの標的にされないだけでもマシ・・・という考えもあろうが、近づきがたく全く相手にされずに避けられる状況というものは、「自分はどのように振舞えば良いのか?」という思考すらも削ぎ落とし、ひたすら「蛇の生殺し」のように自らの心にジワリジワリと負荷がかかっていくような感覚である。・・・もちろん自分に非があって、話しかけづらい雰囲気を醸し出したり、心理的に反発して相手を遠ざけるような態度をとっていることは自覚している。「会話力」というも... ...続きを見る

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2011/07/27 20:13
やっと戻ってきた・・・
 本当に久しぶりのブログである。2ヶ月強ぶりであるが、その間は別に病んでいたわけではないので悪しからず・・・。(とは申せど、実際には精神的に追い詰められていたことも否定はできないのだが)原因はプラウザの機能がおかしくなってアクセスできなくなってしまい、この期間「蛇の生殺し」のように書きたいこともかけずに悶々としていたのである・・・。半ばあきらめて本日アクセスしてみたところ、復旧していたというわけである。何という僥倖であろうか!とにかく再び、我が思いの丈を存分に書き綴らせていただこうと思う!... ...続きを見る

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2011/07/25 21:11
自分でわかっているハズなのに、罪悪感あるいは自虐感を抱くとき・・・
 自分で「こういうことをしたら絶対、後で傷つくだろうな・・・」とわかっているのにもかかわらず、止めようもなくその流れにまかせて現実にその行為を行って、相手への罪悪感・あるいは自虐感を抱く・・・。我にはかような行為が本当に多い!・・・頭の中じゃ十分すぎるくらいに理解しているハズであるのに、敢えて実践に移してしてみて、わかりきっている苦い結果を味わおうとする無意味さ・・・。どうにも自分で自分を貶める行為に味を占めてしまっているようなのだ!その中身とは・・・ ...続きを見る

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2011/05/18 20:27

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